万国監獄博覧会の謎〜その2

前回は、1890年に「万国監獄博覧会」があったことの残されたわずかな記録を確認し、その出品物である受刑者らの製造品が、欧米各国と比べて趣が異なり、「まるで美術展や工芸展のようになってしまった」という反省を見ました。

今回は、実際に一体何を出品したのか、その記録を整理してみます。

なぜ美術展のようになってしまったのか〜出品物の記録から

美術展のようになってしまったという日本は、万国監獄博覧会にいったい何を出品したのでしょうか。

その記録が以下のように『警察監獄学会雑誌』に残っており、全国各地の監獄から、囚人の製造品の数々が値段付きで出品されています。

妖魔彫刻置物壹個、道戯蛙彫刻置物壹個、髑髏彫刻置物大小三個、山姥金時彫刻置物壹個、七室焼花瓶壹對、此等の代價合わせて金百五拾九圓七十栓(以上は警視廳の出品)、麻氈毺壹巻、綿氈毺五巻、騎士彫刻置物壹對、此等の代價金六拾七圓(以上は京都府の出品)、紫檀製卓壹脚、見掛紫檀陰花林製茶棚壹個、竹に貝及び象牙填込花活壹對、此等の代價金百三十六圓六拾六銭七厘(以上は大阪府の出品)、藁眞田紐大小三筋、此代價金三圓六拾五銭(長崎縣の出品)、赤樫製花瓶壷壹對、竹製花活壹個、同小鳥籠壹個、同手提壹個、同水菓子入大小二個、此等の代價金九圓九拾八銭(以上は群馬縣の出品)絹ハンケチーフ壹ダース、絹テーブル掛半ダース、此等の代價金拾八圓壹銭八厘(以上は山形縣の出品)、白瑪瑙製コップ壹個…」
(『警察監獄学会雑誌第1巻第5号』,1890年)

これを全部読んでいくのは苦なので、いくつかにまたがっている記録から表に整理しました。

靴や織物などの実用品のみならず、「妖魔彫刻置物」や「道戯蛙彫刻置物」、「髑髏彫刻置物」、「山姥金時彫刻置物」といった彫刻作品が出品されており、これらが「美術展のようになってしまった」正体といえるのではないでしょうか。

出品物及び出品した監獄一覧(『警察監獄学会雑誌』の記録をもとに作成)※無断転載禁止

※なお、前回の1890年9月30日の読売新聞記事によると、「日本の出品は甚だ少なく僅に55種あるのみ」とあり、上の表の52種との差である3品は確認できていません。『警察監獄学会雑誌』の記録はいくつかにまたがっており、出品物の記録は同雑誌の第1巻第5号及び第1巻第6号(1890年)に記録があり、博覧会終了後の報告として売れたものと売れ残りの記録については、同雑誌の第2巻第1号(1891年)にあります。いずれも矯正図書館のWeb上で確認ができます。

「山姥金時彫刻置物」 をヒントに・・・

実際に出品された物品の写真や画像資料などは確認できていません。たぶん、無いかもしれません。

そこで、出品物の一つである「山姥金時彫刻置物」をヒントに想像してみます。
ここからはあくまで想像を膨らめるのみで、何の学術的根拠はありません。

「山姥金時彫刻置物」という名称から、日本美術史上の有名な絵画である喜多川歌麿の『山姥と金太郎 頰ずり』(1796年)というモチーフが簡単に想像できます。

喜多川歌麿『山姥と金太郎 頰ずり』(1796年)

そして、現在も続く千葉県香取市佐原の大祭(夏祭り)の山車のひとつに、「金時山姥(きんときやまんば)」の飾りがあり、同じモチーフが感じられます。ユネスコ無形文化遺産にもなっているこの祭りのガイドマップを確認すると、「金時山姥」のは明治12年とされています。
監獄博覧会の10年以上前(歌麿の絵は約100年前)からあるこうした伝統的なモチーフから、出品された彫刻置物「山姥金時彫刻置物」は、同様のイメージだったのではないかと推測します。

千葉県香取市佐原 大祭(夏祭り)金時山姥の飾りを施した山車

さらに少し脱線します。

先程の表を確認すると「山姥金時彫刻置物」は、実際には千葉県ではなく警視庁監獄石川島分署(現在の東京都中央区月島のあたり)からの出品です。
この石川島監獄は、江戸時代の旧人足寄場を明治維新期に徒場化・懲役場化した監獄です。

『石川島監獄署作業状況図』という資料が矯正図書館(東京都中野区)に保存されており、作業場面として「画工」「紙漉工作」「裁縫工作」「染物工作」「蝋燭工作」「営繕工作」「指物」「写字」「表具工作」「活板」「靴工作」「藁工作」「縄工作」「建具」「籐細工」「絵図引き」「杣」「大工」「木挽」「桶工」「煉瓦工作」「煉瓦竃焚之図」「耕作」「鉄工」「米春」「綿工作」「蒔絵」「女監工作之図」「機織」とタイトルがつけられ、描かれています。
『矯正図書館への招待』、財団法人矯正協会矯正図書館, 平成20年)

『石川島監獄署作業状況図』(『矯正図書館への招待』、財団法人矯正協会矯正図書館, 平成20年)

作者は不明ですが、明治19年(1886年)に警視庁鍛冶橋監獄本署長を務めたことのある小原重哉(こはらしげや)ではないかと推測されています。その理由として、小原重哉の忘備録『秘要録』の字体と絵巻物に書かれている字体が似ており、また、小原は雅号を「米華」と称して画集を出版しているほどの画人でもあるためであるそうです。

そして、小原は実は内国勧業博覧会で審査員を務めています(by Wikipedia)。
小原が万国監獄博覧会の出品に関与していたかは定かではありませんが、「監獄」と「博覧会」の奇妙なつながりを感じさせる人物でもあります。

以上、実際の出品物の記録はないので、予想されるモチーフや当時の作業の様子を想像してみました。

(続く)