映画『プリズン・サークル』特別試写&パネルトーク 報告レポート〜その2

前回記事 の続きで、9月28日に立命館大学大阪いばらきキャンパスで開催されたイベント、坂上香監督最新作・映画『プリズン・サークル』特別試写&パネルトークの報告です。前回は、午前中の試写会についてまとめたので、今回は午後のパネルトークについてです。

パネリストは、上記写真の左から順に

毛利真弓(同志社大学心理学部准教授)
森久智江(立命館大学法学部教授)
藤岡淳子(大阪大学人間科学研究科教授)
ロッド・ムレン(米国Amity代表)
水藤昌彦(逐語通訳・山口県立大学社会福祉学部教授)
ナヤ・アービター(米国Amity副代表)
坂上香(映画監督)

です。

ナヤさんとロッドさんは、本イベントの前に、美祢社会復帰促進センター(山口県)と、「プリズン・サークル」の舞台となった島根あさひ社会復帰促進センター(島根県)の2つの施設を訪れており、その感想などもありました。

以下、各パネリストのコメントを書き起こしていきますが、必ずしも正確な表現になっていない可能性があります。その点はご容赦ください。

ナヤ・アービター、ロッド・ムレンから見た「プリズン・サークル」

午前中に上映された「プリズン・サークル」について、モデルとなったAmity(アミティ)のナヤ・アービターさん、ロッド・ムレンさんから最初にコメントがありました。

ナヤ:
ドキュメンタリー映画作家は社会にとって特別な役割をもっています。そこで描かれる物語を我々が見ることを通して、社会を映す鏡を見ることになるからです。現代社会には気候変動や、難民、拘禁状態にある人々などさまざまな問題があります。そのような問題があることに対して、どのような改善をしていけるのかという意味で、こうした作品を通して一種の希望をみることができます。

TC(Therapeutic Community:前回記事 参照)は、性的虐待や、家庭内暴力、いじめなど、その経験にある痛み・トラウマからどのように回復していくのかというオルタナティブな道筋を示しています。被収容者に限らず刑務所の外でも、同様の経験を抱えている人たちがいますが、こういった問題は刑務所の中に凝縮して現れます。そのため、本作で重要なのは、訓練生たちが加害者であると同時に、自らも被害体験をもった存在であることが映されていることです。

刑務所の中でTC(回復共同体)をつくるうえで重要だったのは、被収容者たちを適切にトレーニングして、安心できる環境で互いを助け合う関係を築いていくことで、互いに成長していくことです。

刑務所の中にTCという修復的司法のサークルをつくることは、長期的な安全をもたらすといえます。訓練生たちは収監されている間に成長し、さらなる危害をもたらさない人間になっていきます。それは自身の感情や他者の感情を理解するスキルを持ち、より良い人間関係を築くことができる人間になっていることを意味します。

一方で、応報的な仕組み・刑罰が果たす役割は、短期間の安全しかもたらしません。それは被収容者が収監されているその期間だけ、社会にもたらされる安全に過ぎず、成長を伴わなければ彼ら・彼女らは出所後に再び同じ過ちを繰り返すリスクがあります。

ロッド:
ほとんどの国や社会がそうですが、人が罪を犯した時に社会はどう対応するのかというと、彼らは我々とは違うエイリアン(異質なもの)だから拘禁し、人として扱わないということをします。この映画に描かれている訓練生たちは、犯罪を犯す前に被害者であったことが映し出されています。被害者であったことは犯罪の言い訳にはなりません。ですが、なぜ犯罪に至ってしまったのかを理解するうえで、被害体験からどう立ち直るのかに向き合うことが重要なプロセスといえます。

これらの受刑者は我々の社会にいずれ戻ってくる存在です。我々の隣人として共に生きるならば、出てきた時に「より良き人」になっていてもらいたいと思いませんか?
罰を与えるということは、教育になりません。罰が教育にとって有効であるならば、大学やあらゆる教育機関でも、どんどん罰を与えればいいでしょう。だがしかし、そうではないのならば、刑務所もまた同じはずです。

 

坂上監督の「刑務所」との出会い、きっかけ

続いて、坂上監督から、自身が「刑務所」をテーマにするようになった経緯から、今回の「プリズン・サークル」を撮影するに至ったきっかけについてお話がありました。

坂上:
映画はまだ公開前ですが、全国をまわって、今回の映画をつくるために支援をしてくださった方々に見せたいと思い、こうしたイベントを開くことにしました。今回の映画「プリズン・サークル」をつくるうえでは本当に数多くの壁があり、正直「無理かもしれない」「映画として完成できないかもしれない」と何度も思いました。

そんな時に、ナヤさんやロッドさんに励ましてもらい、なんとかこの日を迎えることができました。

私が最初に刑務所を見たのは、実はチリのサンティアゴでした。知り合いに連れられるがままについていき、最初は相当に怖く・厳格な場所なんだろうと思ったのですが、サンティアゴの刑務所は、オープンスペースでの面会で、誰もが自由に動きまわり語り合い、本当にここが刑務所なのかと、刑務所のイメージが壊れ、そこではじめて興味をもちました。

その後、日本に帰国し、少年院に行く機会を得たのですが、サンティアゴの雰囲気とのあまりの違いにまた驚きました。日本の少年院や刑務所は「沈黙」と形容されますが、まさにその「沈黙」です。サンティアゴはうるさいくらいだったのに、日本の少年院は誰も話さず、静かで、軍隊のような行進で、少年たちもこわばった表情をしていました。

今でも覚えていますが、壁に貼ってあったポスターには「社会話をするな!」とありました。「社会話ってなんだ?」と思いますよね。要するに隣同士で無駄話をしないようにという注意書きなんですが、そのポスターもいかにも子どもが描いたような絵とともに書かれていて、奇妙なものでした。

今回の映画で言いたいことのひとつは、この社会でどれだけ、本音で語れる場があるだろうかということです。私自身、映像制作会社に勤めていた時は、今にしてみればセクハラ・パワハラにあたりそうな扱いも受けてきましたし、そうした人間関係の中に本音などなかったように思います。つまり、社会ではできない本音の対話が、なぜか刑務所の中の方ができるということです。

対話はアメリカの文化なんじゃない?という批判も受けてきましたが、今回の映画を通して決してそうではないことを示せたのではないかと思います。

前作の「ライファーズ」は、現在、島根あさひ社会復帰促進センターの入所オリエンテーションで、訓練生たちが必ず見るものになったそうです。なので、私が最初に島根あさひの訓練生と対面した時、彼らが最初に私にしてきた質問が、

「レイエスは出所したんですか?」(※レイエスについては、過去の記事を参照ください。)

という質問です。レイエスという受刑者は、映画の中では出所がかなわなかった存在でした。
島根あさひの訓練生たちは息をのむようにじっと私の方をみて返答を待っていて、私も思わず回答をためにためて、

「はい、レイエスはその後出所しました。」

と答えると、訓練生たちは泣き出すしまつです(笑)。
きっと、彼らにとって、レイエスが出所できたということが希望のひとつだったのかもしれません。

当初、ライファーズを制作後に「アミティ」と同様の取組を日本の刑務所でもやりたいという動きがあった時、正直私は、刑務所との関わりがいろいろ面倒だからというのもあり、どうせ(アミティのようには)できないだろうという思いもあり、あまり近づきたくないと思っていました。

しかし、取組が始まってしばらくたってから、その様子を見させてもらった時に、「日本でもできるじゃん!」と思い、これは映像に残さなければと思うようになりました。そして10年という歳月をかけ、ようやく完成しました。

 

フリーディスカッション

藤岡:
もともと私は刑務所の職員として勤めていました。私が職員として働き始めた頃というのは、女性職員だけが会議室に取り残され、他の男性職員だけが所内をまわる研修に出て行くというような、そんな時代でした。

アミティの存在を最初に教えてくれたのは坂上さんです。映画を見させていただいた後、アミティのナヤさんが日本にくる機会があり、矯正職員を集めてナヤさんの話を聞く機会を設けました。男性中心の縦社会の中で、そうした場を設けること自体大変なことでしたし、日本でのアミティの実現は難しいかと思いましたが、ちょうど官民連携の刑務所ができるという話が出てきた時に実現の可能性が浮上しました。ワークショップのやり方もある程度定まっていてカリキュラムもあるし、できるかなと思いとにかくやってみることにしました。

トラウマ体験が自己形成に障害をもたらすことは脳科学を含め多方面から実証されつつあります。だからこそTCにおいて、そうしたトラウマ体験を語るために、安心・安全な場をつくることが重要なのですが、そうしたTCの概念そのものや必要性・重要性を理解してもらうのはなかなか難しかったのです。そこで、こうして映画としてビジュアル化されたことが大きいといえます。TCは、専門家が理解するような言葉で語られてきたわけでもないために、実際に輪の中に入って体験しないとわからないのです。

森久:
坂上さんに出逢ったことが、研究者になったきっかけでした。

学生時代、当時はまだあまり関心のなかった法学の分野に、刑務所からいかに社会復帰をするのかという刑事政策の分野があることを知り、そこで刑罰は何のためにあるのだろうかと考えていました。法学上は、刑罰というのは関係の適正化のためにあるといわれたりします。しかし、法的に適正化されている関係性とは、現実の人間関係とは違うのではないかと悩んでいたときに、Restorative Justice(修復的司法)というのを坂上さんの作品を通して知りました。

修復的司法だとせまい司法だけの話になりがちですが、犯罪から社会をどう修復するのか、犯罪から社会は何を学んで成長していけるのか、という視点が重要です。

前作の映画や本作にも描かれていたとおり、刑務所の中にサンクチュアリ(安心して語れる場)を築くことができていましたが、では、刑務所の外に出た時にどこにサンクチュアリを築くことができるでしょうか。そのようなことを今現在も考えるに至っており、坂上さんとの出会いの影響は計り知れません。

ナヤ:
刑務所で働くなかで楽しいと感じるのは、「何ができないか」ではなく、「何ができるのか」に目を向けることができる点です。島根あさひで感激したのは、訓練生の学ぼうという意欲が非常に高いことでした。新しいことを試していこうという熱意です。グループワークをする時にも、互いの話にすごく真剣に耳を傾けていました。これは、TCにとって最も重要な点です。

また、刑務官も共に学ぶ仲間といえます。なぜなら刑務官は、その場に立ち会う存在であり、その場で何が起こっているのかを見て、聞いています。その場にいる訓練生たちの変化を目にしています。

アメリカでの撮影時(前作「ライファーズ」)、坂上さんに連れ添った刑務官が、受刑者たちの話を聞いて、週末に子どもとベースボールの試合を見に行くことにしたといいます。なぜかというと、受刑者たちの語り合いの中で、幼少期に親が来てくれなかった時のさみしさや孤独を多く聞いたからです。そんなふうに、誰もが少しずつ何かを得て、自分の行動に変化を起こしていると言えます。

ロッド:
刑務所の主な関心は、いかにコントロールするかにあります。暴動を起こさないように注意したり、規律を守らせたりといったことです。このシステムの中では、刑務所を出たあとにどう行動するかは関心がありません。刑務所の中でどう生きていくかだけを教えていることになります。

TCは刑務所の外で人々にどのように生きていくべきかを教えています。刑務所長の評価が、出所後の彼ら・彼女らの態度の変化で決まるなら、アミティは急速に広がるのではないかと思います(笑)。

 

質疑応答

最後に、会場からの質疑応答がありました。

質問1:本作の中で絶対に撮りたかった場面、実際には撮れなかった場面はありますか?

坂上:
撮れない場面だらけです。それは言い始めるときりがありません(笑)。
例えば、アートワークショップも実はやったのですが、その様子の撮影は許可されませんでした。

一番くやしかったのは、本作の登場人物の一人で、性暴力の被害経験のある人物がいましたが、彼がその被害体験を語るシーンを撮ることができませんでした。

また、今回訓練生たちの姿は、顔にモザイクをいれていますが、アメリカの撮影時にはなかったように、それは訓練生一人ひとりとの交渉や相談をして決めるべきことであり、実際顔を出してもいいと思っている受刑者もいるのではないかと思います。しかし、日本の刑務所での撮影では、そもそも受刑者たちと話すことが許されなかったりで、信頼関係を築いたり交渉・相談したりということがそもそもできません。配慮に気をつけるべきものではありますが、法務省が一律に顔はモザイク・声も変えるといったルールを決めるべきではないと思います。今後の活動のためにも、このことは法務省ほか、刑務所の偉い方々がもしこの会場にいれば、改善していってほしいと思います。

質問2なぜ、あの4人(「プリズン・サークル」の主要登場人物)を選んだのですか?

坂上:
日本の刑務所では、撮影においても受刑者とはしゃべるな、目を合わせるなで、信頼関係を築けません。しかし、今回は撮影前に、30人近くいるTCの参加者全員と、2030分のインタビューを3日間かけて行いました。何年もアミティの取材をしてきた経験から、なんとなく「この人は変わっていきそうだな」という人がわかるようになりました。そこで、撮影対象の候補を7〜8人出して、取材を行いました。

問題は、その78人の候補者たちが違反をしたり、懲罰になったりすると途中でいなくなってしまうことです。そのため、倍の人数の取材を確保しておき、最終的には、映像の撮れ高であったり、一人ひとりのシチュエーションになるべくバリエーションがみえるような選定をしました。

質問3TCが合う犯罪者、合わない犯罪者はいますか?

ナヤ:
アメリカで取り組んでいる中では、TCには小児性愛者は対象としないという一応のルールはあります。ですが、場作りで重視するのは、個別化することであって、”放火犯”がいるとか、”窃盗犯”がいるといった一般化はなるべく避けて、より具体的かつ個別にどういったケースで起こった犯罪なのか、なぜその人個人がその犯罪に至ってしまったのかを重視しています。

藤岡:
もともとは薬物依存症者を対象にしてTCは始まっています。

 

さいごに

最後に、会場にきていたTCの修了生たちからも感想が述べられました。

「最初、TCは何か宗教っぽさを感じたりもして怖さや不安があって、何も話せずにいましたが、参加しているうちに、周囲の参加者たちを見ているうちに、弱さを見せられることが強く見えるようになりました。まわりの同じような経験をしている人との対話を通して、自分との対話ができて、小さなころの自分のことを許してあげられるような気持ちになりました。」

などなど、出所後に社会復帰をとげたTC参加者たちの貴重な声を聞くことができました。

(おわり)