今回も、前回に続き英国の事例を紹介したいと思います。
Koestler Artsは、英国でも最も古く、その活動規模も大きな代表的な刑務所アート(Prison Art)を支援する慈善団体です。
Koestler Artsは、1962年の設立以来、受刑者を中心に病院の入院患者、移民の被拘禁者といった物理的に閉じ込められた人々を対象として、芸術に参加する機会をつくってきました。
活動のねらいは、「被拘禁者が芸術に参加し達成するよう動機づけることにより、よりポジティブな生活を送るのを助けること」、「刑事司法制度の人々による芸術に対する国民の認識と理解を高めること」、「優れた品質とコストパフォーマンスを実現する、ダイナミックで応答性の高い組織であること」を掲げています。
Koestler Artsが行う代表的な取り組みが、Koestler Awardという一種の公募展です。Koestler Awardでは毎年、英国全土の3500人以上の応募者から、7000以上の作品のエントリーがあり、その作品形態は現代アート(fine art)からパフォーマンス、映像やアニメーション、文芸(writing)など50以上のカテゴリーがあります。
応募作品に対して約100人の専門の審査員によって約2000もの賞を授与し、英国最大の芸術センターであるサウスバンクセンターにおいて展示されます。
Koestler Artsのアニュアルレポートを確認すると、2018年の実績では、3566人から7317作品の応募があり、98名の審査員のもとで2388の賞を授与しています。912人に対し賞金を送り、総額31,160ポンド(約436万円)とその規模の大きさが伺えます。
なお、応募者に対して作品数が多いのは、1人5作品までを上限にエントリーが可能となっているからです。1作品に1枚のエントリー・フォームを提出し、エントリーには施設職員の許可と署名が必要であるほか、2kgまでは送料を無料にするといった配慮もなされています。エントリーフォームは、Koestler Artsのホームページからも確認できますよ(PDF)。
Koestler Artsの提携先でもあるサウスバンクセンターでの展示では、これまでにもグレイソン・ペリー(※1)やベンジャミン・ゼファニア(※2)、アントニー・ゴームリー(※3)等の著名なアーティストによるキュレーションがなされている他、2018年は支援を行っている受刑者の家族がキュレーションを行い、自らの経験を説明するような芸術作品を選定し展示しました。
Koestler Awardはその名の通り、ハンガリー出身の英国の作家Arthur Koestler (1905 –1983)に由来します。Koestler は、1950年代に死刑廃止のキャンペーンをオブザーバー誌や書籍等で展開し、その活動が実を結ぶことが明らかになった際(1965年に絞首刑は廃止)、現在のKoestler Awardのスキームを築きました。
当初、受刑者が審査され、受賞するといった前例がない中、当時の内務長官がこれを歓迎し、運営委員会が設置され、Koestlerは自身の名前を冠することに消極的であったものの、最終的に運営委員会が決定し、Koestler Awardとなりました。1962年の最初のKoestler Awardには約200もの作品のエントリーがあり、受賞作品はブックショップのギャラリーに展示されていました。当初は賞金をKoestler自身が支払っていましたが、スキームの拡大に伴い資金が必要となり、1969年に公益信託化(charitable trust)がなされ、現在のかたちとなっています。
Koestler Awardの大まかな流れとして、1月から4月にかけて作品の募集を受け付け、7月に審査を行い8月までに応募された全作品に対するフィードバックを書きます。8月の終わりに賞を告知し、9月から11月にかけて展示が行われる中で、10月に賞状と賞金が送られ、12月には売れた作品についてそのお金をアーティスト(応募者)に返し、その他の作品も応募者へと送り返されます。
このフィードバックが応募者である受刑者に返されることが大きな特徴ですね。このフィードバックは、ほぼ全作品(2018年の実績では応募作品の95%)に対して送られています。フィードバックの作成には、ボランティアやKoestler Artsのスタッフ、展示会への来場者などもコメントカードとして参加し、受賞作品にはより専門的な審査員がフィードバックを作成しています。
このフィードバックは、応募者の自信を高め、また作品制作における専門的なアドバイスが提供される機会になります。こうした専門的なアドバイスは、応募者が収容されている施設に芸術に関する専門的な指導者がいない場合に特に重要な意味を持つといいます。
2019年は、「Another Me」というコンセプトのもとサウスバンクセンターでの展示が行われました。その様子は、動画でも報道されています(Evening Standard、2019年9月22日記事)。
インスタグラムでは、会場で詩の朗読などが行われた様子の動画もあり、展示室のカラフルな様子からも穏やかな雰囲気を感じます。
日本で行われるアウトサイダー展のような”キワモノ”を扱うような雰囲気はなさそうです。著名なアーティストやキュレーターが参画することによる芸術性の質が担保され、また、支援をする受刑者家族によるキュレーションが行われる年もあるなど、作品に対する価値が多元的に見出されようとしています(アウトサイダー性という一元性ではなく)。
(前回記事「アウトサイダーを展示する難しさ」参照)
むしろ、Insider Artという表現を用いたのが2007年です。2007年のInstitute of Contemporary Arts(ICA)における展覧会 で「Insider Art」という名称が使われました。ICAに展示された作品の選定はICAのディレクターの他、テート・ギャラリーのキュレーター、前述のグレイソン・ペリーらによって行われました。サウスバンクセンターでの展示も含め、現代アートの展示空間に持ち込まれていることが、このKoestler Artsの注目されるポイントです。
日本にも、アーティストと受刑者が、作品応募↔選評といったかたちで交流が生まれ、美術館やアートセンターといった空間に展示されるような公募展が生まれるといいですよね。
※1:グレイソン・ペリー(Grayson Perry)
英国を代表する現代美術作家。日本国内でも2007年に金沢21世紀美術館にてグレイソン・ペリー展が開催されました。こちらの記事などが参考になるかもしれません。「アイデンティティを問い続けるアート界のレジェンド、グレイソン・ペリーが教えていること」(2019年4月9日)
※2:ベンジャミン・ゼファニア(Benjamin Zephaniah)
英国の作家、詩人。レゲエ音楽に乗せた朗読詩であるダブ・ポエトリー(dub poetry)で知られます。日本語で読める書籍でも『難民少年』(講談社)や、『フェイス』(講談社)などがあります。
※3:アントニー・ゴームリー(Antony Gormley)
英国を代表する彫刻家。日本でもいくつかの作品が所有されており、2014年国東半島芸術祭(大分県)にも参加しています。美術手帖のこちらの記事など参考になるかもしれません。Web版美術手帖Artist「アントニー・ゴームリー」
参考文献
- Koestler Arts 公式Webサイト https://www.koestlerarts.org.uk/
- Koestler Artsのアニュアルレポート“Impact Statement 2018-2019”