ベルリンで刑務所演劇を推進するアウフブルッフによる講演会
2020年12月21日(月)に、東京芸術劇場の企画により、ベルリンで刑務所演劇を推進するアウフブルッフの創立メンバーの一人ホルガー・ズィルベ(Holger Syrbe)氏による講演会が行われました。その名も「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦」です。対談においては、映画『プリズン・サークル』にも出演していた、元官民協働刑務所民間臨床心理士の毛利真弓先生(同志社大学)を迎え、日本での取り組みの可能性を考えさせられました。
※映画『プリズン・サークル』については以前の記事を参考にしてください。
映画『プリズン・サークル』特別試写&パネルトーク 報告レポート〜その1
今回は、このイベントレポートも兼ねて改めてアウフブルッフの活動を紹介し、刑務所演劇とはどのような活動なのか、日本でも刑務所演劇はあるのか・できるのか、その違いは何かということを考えてみたいと思います。
まず本記事では、「その1」として、刑務所演劇やアウフブルッフに関する基礎情報を整理していきます。
刑務所演劇とは・・・
まず、刑務所演劇(Prison Theatre)とは、少年院や刑務所、更生保護施設などの刑事司法制度下における演劇制作・作品を指す概念として広く知られており、演劇をベースとした矯正プログラムから、被収容者を観客の対象とする演劇公演、あるいは、被収容者による演劇など幅広い実践を指すものとされています (Zhang 2017)。
古いものでは、1957年にサン・クエンティン刑務所(アメリカ・カリフォルニア州)において『ゴドーを待ちながら』の公演が行われた記録があり、その歴史は長く、1970年代以降からアメリカ、英国、ドイツ、イタリア、ロシアなどで発達してきたとされています(Balfour 2004)。
現在も英語圏では、研究が進んでおり、2020年9月に刊行された著作として、『Prison Theatre and the Global Crisis of Incarceration』(Ashley.E.Lucas)があります。同書では、芸術家や投獄された人々が、コミュニティを構築し、専門的なスキルを身につけ、社会的変化を生み出し、希望を維持するための手段として、演劇がどのような役割を果たしているのかを検証しています。
その他にも、刑務所演劇に関する書籍は英語圏ではいくつか出ています。
また、刑務所演劇が広く一般に知られるようになったのは、映画『塀の中のジュリアス・シーザー』によるところが大きいのではないでしょうか。実在のレビッビア刑務所(イタリア)を舞台に、服役中の受刑者たちが、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を刑務所内で見事に熱演する過程を描いたものです。
アウフブルッフとは・・・刑務所の内と外をつなぐメディアとしての演劇
それでは早速アウフブルッフを紹介していきます。1997年に設立されたベルリンを拠点とする団体アウフブルッフも、刑務所での演劇プロジェクトを推進してきた代表的な組織の一つです。その活動の日本への紹介は、国際交流基金によるインタビュー記事、雑誌『地域創造』(第36号)での事例紹介などが2014年に発表されています。いずれも山下秋子さんによるものです。
こうした山下さんによる紹介によれば、アウフブルッフが刑務所での演劇プロジェクトを提案し実現していく過程においては、「芸術と刑務所(KUNST & KNAST)」というベルリンの団体が、ベルリン州法務省及びテーゲル刑務所所長との交渉を行ったようです。その後、ヘッベル劇場(現HAU劇場の前身)の当時の芸術監督ネレ・ヘルトリングが活動のパトロンとなることを快諾し、関係機関が協議を重ね刑務所側に態勢ができた1997年、活動が始まります。
その活動の目的は、webサイトに次のように記述されてます。
「受刑者は社会から排除され、その壁の内に社会を再現しているが、刑務所では一般の人々が排除されている。これがアウフブルッフの芸術制作の出発点である。目的は、通常は一般の人々が排除されている刑務所を、一般の人々が芸術(演劇)を通して利用できるようにすることである。
(中略)その目的は、個性的な人物とドラマティックなテキストの組み合わせから発展した、芸術的水準の高い生き生きとした演劇を創造することであり、その真正性と強い主張で観客を感動させることにある。アウフブルッフは、演劇を刑務所の内と外を仲介する芸術的なメディアとみなしている。」(webサイト より筆者訳)
刑務所演劇の中には、受刑者の更生が目指される活動も少なくはありません。実際に、コミュニケーション能力や、協調性の高まり、感情のコントロール、ストレスからの解放・癒し、そして再犯率の低下といったさまざまな効果(impact)が研究されている例もあります。
しかし、アウフブルッフの活動はあくまで「質の高い演劇の創造」「観客を感動させること」が目指されており、そのことを通して、「刑務所の内と外を仲介する芸術的なメディア」となる刑務所演劇を考えているようです。
芸術活動を目指していることは、ペーター・アタナソフ(アウフブルッフ演出家)のインタビューからも明言されています。
「もちろん、演劇活動をすることで、ある受刑者たちにとっては今まで身に着けることができなかった社会的規律、例えば時間を守るとか、他の人々と協調するといった社会生活における基本的ルールを学ぶことはあります。しかし、アウフブルッフの活動はそうしたことを目的とした社会活動ではなく、あくまで芸術活動です。」
(インタビュー記事より)
アウフブルッフの特徴1:芸術性の高さ
では、このような芸術活動を目指すアウフブルッフの特徴とは何でしょうか。まずは、その芸術性の高さに着目していきます。
例えば、2020年2月の公演『フィデリオ』の記録映像からも、その練習風景において、非常に高度なプロフェッショナル(音楽家、ドラマトゥルク、演出家、ディレクターなど)の関わりによって質の高さの追求が見られます。
※アウフブルッフによる『フィデリオ』の全編は2021年1月11日まで公開されています。
→こちら
例えば、上記記録映像の3:35〜をご覧になってみてください。もう全然発声の仕方が違います!
その他にも、実際にアウフブルッフによる演劇に参加した受刑者たちは次のようにも語っています。
「11週間近くリハーサルに取り組んできた。私たちは、日常から少し離れて演劇の活動を楽しんでいる。」(2:30〜)
「私たちはレベルの高いスペシャリスト−ディレクター、音楽家、ドラマトゥルク、演出家−に囲まれている。この経験は100%私たちに影響をもたらしています。こんな経験があるとは刑務所に入ってくる時に想像もしなかった。」(5:46〜)
「役に没頭できるのはとても魅力的だ。それぞれた全て個性的なキャラクターからいろんなことを学ぶことができる。自分と似ている部分もあれば、奇妙に感じることもある。」(6:36〜)
「成長し続けることができる。今まで自分でも気づかなかった潜在的な何かを発見することができる。運がよければ幼虫から蝶になることができる。それは、ある時突然跳躍することがあるんだ。」(6:46〜)
※以上、筆者による意訳
以上の発言は、自らの犯罪に対する更生や反省というよりも、純粋に演劇という面白さと向き合っている発言のように思われます。
このような質を高めているのは、「11週間近くにわたるリハーサル」とあるように、その練習時間の多さと、「レベルの高いスペシャリストに囲まれた環境」に裏打ちされているようです。ベルリンの刑務所では、刑務作業が義務化されているため、アウフブルッフの活動は受刑者たちの限られた自由時間を用いて行われています。
「原則として1日4時間の稽古が週に5日行われます。稽古には専門家によるボイストレーニングが毎日行われるほか、プロの振付家による身体の動かし方の訓練もあります。稽古の期間は、作品や刑務所の状況によって異なりますが、4~6週間続き、本番を迎えます。」(インタビュー記事より)
アウフブルッフの特徴2:犯罪や逸脱をテーマとした古典作品が題材
続いて、アウフブルッフはどのような作品を実施しているでしょうか。先ほどの記録映像に示した『フィデリオ』は、刑務所を舞台としたベートーヴェンのオペラ作品です。罪もなく政治犯として刑務所に捕まってしまったフロレスタンを、その奥さんレオノーレが「フィデリオ」という男になりすまして刑務官として刑務所に潜入し、夫フロレスタンを助けるというストーリーです。
この他にも、過去の上演作品として、『ヴォイツェック』(ゲオルク・ビューヒナー)、『テンペスト』(ウィリアム・シェイクスピア)、『カッコーの巣の上で』(ケン・キージー)などがあります。
アウフブルッフは、このような古典作品を選びます。そのことについて、過去のインタビュー記事において、ペーター・アタナソフ(アウフブルッフ演出家)は次のように答えています。
「同時代のものより過去の作品に惹かれるようになりました。アウフブルッフでもそういう作品を選び、作品を通じて過去と対話するようになりました。例えば、シラーの『群盗』も犯罪者、ゲーテの『ファウスト』も未成年の少女を誘惑しているのですから今でいえば犯罪者です。これらの古典作品の中に描かれた犯罪者、あるいは社会的規範の限界を越えようとする人物と受刑者が演劇を通して対話できればという思いを持っています。(中略)自分から進んでバックグラウンドを話す人もいれば、全く何も語りたがらない人もいます。受刑者が語るまで、私たちは彼らの経歴を一切知りません。受刑者との作業が始まる時点では台本がもう出来上がっていますから、彼らのバックグラウンドを台本に反映することはありません。」
刑務所演劇の中には、受刑者たち自身の体験をもとにオリジナルに演目を創作する例もあり、アウフブルッフにも同様のワークショップなどはあるようです。しかし、主たる活動においては、刑務所演劇に参加する受刑者のバックグラウンドなどを、台本に反映させることはなく、古典作品のキャラクターと演者自身が演劇を通して対話できることを目指しているようです。
実際、先程の記録映像の中の発言でも、個性的なキャラクターに没頭しながら自分と比較する発言もありました。冒頭にも、刑務所長役を演じたピーター(Peter)の次のような発言があります。
「私は悪役を演じることになりました。それはとても楽しいです。激しい役柄で葛藤する男の役です。彼は、ものごとをコントロールできると確信しているが、次第にそれができないことを彼自身が認めていかなければならなくなります。それは、私自身の性格(パーソナリティー)とも少し呼応します。だからこそ、この役がとても興味深いのです。深く動かされます。」(記録映像の1:17〜、筆者訳)
まさに、自身に任された役を深く理解し、そして、自分自身とも重ね合わせていることがうかがえます。
アウフブルッフの特徴3:一般の観客に開かれた公演
こうしたアウフブルッフの公演は、一般に広く公開されていることも大きな特徴です。
「受刑者の家族や親戚以外に、プロの演出家や舞台関係者、演劇研究者に加えて、演劇に関心をもつ一般の人々が観客として刑務所に足を運ぶ。刑務所の近くに住んでいる住民たちが見にくることもある。公演後、受刑者と観客が自由に話し合える場も設けられている。」
(雑誌『地域創造』第36号より)
詳しくは、次回の記事で触れることになりますが、このように観客に広く開くことで、偏見のないかたちでさまざまな人々が出会う場を作り、受刑者あるいは刑務所に対するものの味方に変化をもたらすことが目指されているといえるでしょう。
アウフブルッフの活動の評価について
こうした開かれた活動は、評価の観点にも関係します。
2014年の山下秋子さんによる取材時においては、「客観的・学術的な評価があれば、助成金を申請する時の一助になるだろうが、比較の対象となるような類似のプロジェクトがないため、学術的評価はない」といいます。しかし、「文化教育のためのベルリンプロジェクト基金」による助成を受けた際に評価レポートが発行されています。
ドイツ語で書かれたレポートではありますが、次のような観点から評価が行われています。
1.劇場プロジェクトの芸術的アプローチ/実施について:
a.プロジェクトの芸術的アプローチは何か?芸術的アプローチの何が特別なのか?
b.受刑者はどの程度/どのように劇の作成プロセスに関与していたか?2.被収容者に関連する影響:
a. aufBruchへの参加は受刑者にどのような結果をもたらしたか?
b.どのような結果が得られたか?
c.受刑者にとってaufBruchに参加することの長期的な影響は何か?3.オーディエンスに関連する効果:
a.どのようなオーディエンスにリーチしたか?
b.受刑者とオーディエンスの間の接触はどのように設計されていたか?
c.刑務所/受刑者に対する国民の認識はどの程度変化したか?4.さらなる開発/移転:
a.プロジェクトをさらに発展させるためにどのようなオプションがあるか?
b.効果の発現を助長する、または妨げる条件は何か?
受刑者たちの変化のみならず、オーディエンス(観客)に対してもどのような変化をもたらしたのか、ということが観点となっています。
以上、今回は、刑務所演劇とアウフブルッフの活動の基本情報をまずは整理してみました。
次回は、いよいよイベントレポートとして、ホルガー・ズィルベ(Holger Syrbe)氏が何を語ったのか、そして、日本での刑務所演劇の可能性はあるのかについて考えてみたいと思います。
参考文献
- Balfour, M. (2004) ,Theatre in prison: Theory and practice, Intellect Books
- Zhang, M.(2017), Prison Theatre Experimented, Collaboration between Prison and Theatre Centre in China, EG Press
- 山下秋子(2014a), 「刑務所演劇:ベルリンで活動する「アウフブルッフ」」『地域創造』36, pp.63-68
- 山下秋子(2014b),「刑務所演劇を推進するベルリンのアウフブルッフ」Presenter Interview, 国際交流基金.