Netflixにて『かくも楽しきムショ暮らし』というドキュメンタリーが公開されました。
かの有名なフィリピンの刑務所(CPDRC:Cebu Provincial Detention and Rehabilitation Center)の囚人ダンスに迫るドキュメンタリーです。
多くの人がマイケル・ジャクソンを踊る囚人たちの動画を一度は見たことがあるのではないでしょうか。そして、この数の囚人に驚いたことでしょう。ドゥテルテ大統領の就任後、強硬な麻薬犯罪取締の影響で、一時収容率580%に達するほどの過剰収容状態となったのです。
『かくも楽しきムショ暮らし』
本作は、1話あたり30〜40分程度のストーリーが全5話で構成されています。
刑務所管理顧問のマルコ・トラルが主要人物で、元囚人という刑務所管理の顧問としては異色の経歴をもちます。そして、囚人の気持ちがわかるからこその開放的な刑務所運営を目指し、囚人の家族を中心とする訪問者を刑務所内に滞在させる訪問者受け入れ日「DALAW DAY」をつくります。囚人たちも大切な人との触れ合いを心から喜び、マルコにも感謝し、信頼を寄せます。
しかし、マルコの思いも届かず、刑務所内で麻薬取引が行われていたり、脱獄囚が出るなどといった現実の困難もあり、結局、刑務所である以上は、厳しい取り締まりに向かわなければならない圧力が生じ、一躍有名になったダンスプログラムでさえ中止の危機に直面します。
それでも踊り続ける囚人たち。そのダンスがいったいどのような意味を持つのかを考えさせる作品です。刑務所という場所が囚人たちにとって「幸せな楽しい場所でもいいのか」「 厳しい場所であるべきなのか」が対比的に、多角的に映し出されているように感じました。
ストーリー構成
以下、ストーリー構成については、NetflixのWebサイトから抜粋します。
1.囚人たちの幸せな場所
囚人達のダンス動画で世界的に有名になった、フィリピンの刑務所。その管理顧問に元囚人のマルコ・トラルが就任し、世間で大きな議論が巻き起こる。
2.やり直すチャンスを
泥棒に入られてテレビを盗まれたマルコは、怒り心頭で自ら犯人を探し始める。悪名高い麻薬密売の大物が刑務所に収容され、所内に大きな緊張が走る。
3.塀の中から見る夢
囚人が激増する刑務所が麻薬取引の温床になっていると批判され、マルコは厳しい取り締まりを実施。囚人達は、訪問者受け入れ日に向けて心を躍らせる。
4.自由の身
囚人が訪問者を装って脱獄を果たし、マスコミは一斉に批判を開始。さらには政治的な圧力も厳しくなり、マルコは顧問をクビになる危機に陥ってしまう。
5.ダンスは最高だ
トップ2人の辞任を受け、刑務所は大きな変化を強いられる。締め付けを強化する方針の中には、大人気だったあの更生プログラムの中止も含まれていた。
主な登場人物
マルコ・トラル(元囚人、刑務所管理の顧問)
H・ダビデ3世が知事となった際に、CPDRCにおける刑務所管理の顧問として起用された。その任命理由はまさしくその服役経験。マルコ自身も、自らの服役経験があるからこそ、囚人のための様々な刑務所改革に取り組んでいく。
ヴィンス・ロサレス(振付師)
前述の動画にもある「スリラー(マイケル・ジャクソン)」の振り付けを担当したダンサー・振付師。1500人の囚人を相手に振り付けやダンスの楽しさを伝えていく。囚人の中でもリーダー的存在となるリド・ダンサーにゲイや異性装者、あるいは長期服役者(重罪犯)を重要な存在として起用するなど、その独自の取り組み方にも注目したい。
バイロン・ガルシア(元CPDRC顧問)
元CPDRCの顧問で、いわばマルコの前任者に当たる人物。映画『ショーシャンクの空に』に触発され、2007年に囚人たちにダンスプログラムを作った人物である。前述の動画もバイロンが録画し配信した。元囚人のマルコを顧問に任命することに否定的な意見を持っている。
リト・グラナダ(囚人たちのボス)
囚人たちによる警備団を組織し、囚人たちを仕切るリーダーであり、マルコも信頼している。刑務所内での麻薬取引が問題化した時にも、「薬物はやめよう」と呼びかける。
ジェフォン・フダヤ(囚人、異性装者、リードダンサーの一人)
外の世界の一部ではゲイが受け入れられないが、ここ(刑務所)では特別な存在でいられると語る。髪を切らされることも、ゴミの処理をさせられることもなく、ダンスさえ教えていれば刑務所でこそ自由で幸せでいられるかのような発言が興味深い。
マルロン・マロロヨン(囚人、リードダンサーの一人)
刑務所で踊れることの喜びを嬉々として語る一方、監房に戻っていく時に囚人であることを最も思い出すと語る。
その他にも、元囚人の看守や、知事や国会議員、マルコの家族などさまざまな登場人物が出てきます。
ダンスは単なる更生プログラムなのか
アメリカやイギリスなどでも盛んな刑務所におけるダンスプログラムは、(身体的)コミュニケーション能力の改善であったり、ストレスの解放(による暴動の減少)であったり、ひいては再犯率が下がるといった効果を検証するレポートが多くあります。
実は、日本の少年院でも、シンクロナイズド・スイミングを行った事例があります。
この動画では、少年たちのシンクロナイズド・スイミングについて「協調性」と「忍耐力」を身につけるためのプログラムと紹介されています。これまた「忍耐力」というところに日本的な体育会的な何かを感じてしまいますが、重要な取り組みです。
動画の取材の中で、少年たちが前向きに変わっていく様子が報道されており、「協調性」や他者とのコミュニケーション、あるいは本番を迎えて人々から「拍手をもらう」ということがもたらす自己肯定感の回復は、特に重要な側面です。「反省」ばかりが求められる矯正施設では、「自分がいかにひどいことをした人間なのか」ということを日常的に自覚させられ、自尊感情が損なわれてしまうからです(そのことが自暴自棄的な行動へとつながっていく)。
しかし、本作(編集と演出が加えられたドキュメンタリーとしてのフィリピンの事例)は、単なる更生プログラムとしてのダンスだけではないように感じました。
本記事のサムネイル画像にもなっている数多くの囚人たちによって文字となった「HAPPY JAIL(幸せな刑務所)」というメッセージがあるからですね。振付師のヴィンスもこの最後のダンスを「抗議のダンス」と語ります。
普段は抑圧されている自由を解放できる時間、囚人たちにとって唯一特別なものがダンスであり、そして自分たちは「幸せな刑務所」を作りたいという、刑務所運営の取締強化路線に対する抵抗の実践のようにも感じます。
もちろん、フーコーが指摘するような生権力、つまり、囚人たち自身が互いを監視し合おうとする(規律を守り積極的に従おうとする)主体性の危うさも感じますが、しかし、囚人たちがダンスに向かう自主性や主体性には違う可能性(自己統治的な自由、抵抗)も感じます。
刑務所は幸せな場所でもいいのか
さて、改めてみなさんはこのダンス、あるいは「HAPPY JAIL(幸せな場所)」というメッセージをどのように見るでしょうか。
ネタとして面白がっているだけで忘れてはなりませんが、囚人たちは罪を犯しています。盗みや薬物もあれば、傷害や殺人もあるでしょう。そんな彼らが刑務所で楽しく、幸せに日々を送ることに抵抗を感じるのも無理はありません。
では、刑務所とはどのような場所なのか。悪いことをした人間に、相応の報いを与えるという刑罰観を応報刑といったりします。他方で、更生・社会復帰のため教育をすることが刑罰の意味であるとする考えを教育刑や社会復帰モデルなどと言ったりします。
よく言われる「被害者感情」に立てば、応報刑的な考えになってしまうこと、罰を与えたい(極論は死刑にしたい)と願う暴力的な感情が人間や大衆に生まれることも事実です。しかし、いずれ出所し社会に出てくる囚人たちが大半であるならば、更生・社会復帰できることが社会にとっての善といえます。
では、更生や社会復帰に必要なのは、規律に厳しく抑圧的で、日常的な暴力や苦痛にあふれる刑務所暮らしなのか、それとも(反省はしながらも)前向きにこれからの人生や家族との関係を考えていけるような幸せな刑務所暮らしなのか。
昨今では、特に性犯罪加害者に対する処遇において「Good Lives Model(良き人生モデル)」といった、ポジティブ心理学に基づいたアプローチが出てきています。これは、従来の刑務所が「あれをするな、これをするな」と禁止の論理で処遇が考えられてきたのに対して、その人の「良き生活や人生(家族や他者との親密な関係性を築くこと、目標を達成し自己実現を得ること、新しいことに取り組む創造性など)」において、その良き人生に到達するために必要な能力を開発することや、外部環境を整えることを目指すようなアプローチといえます。
こうしたアプローチの中では、犯罪とはいわば、その良き人生を実現する方法を誤った、あるいはその能力や外部環境がなかったために生じてしまうこと、と考えられます。
ちなみに、ノルウェーでは刑務所での生活を社会の生活になるべく近づけようという取り組みがなされています。
今回のフィリピンの事例ような、楽しんでダンスに参加をすることも、こうした新しい犯罪者処遇の動向に位置づけられるかもしれません。本作を見ると、終始囚人たちが楽しそうに踊る様子が描かれているわけではありません。その厳しい生活や、家族と離れた暮らしの孤独、自らの犯した過ちの大きさなども語られています。そうしたもろもろの刑務所暮らしの中で、より一層ダンスが特別な意味を持っているように思えるのです。
ぜひご覧ください。
参考文献・記事
- 超激混みの露天からクーラー付きの個室まで フィリピン、麻薬対策強化が招いた「塀の中の格差社会」(NewsWeek日本版、2019年4月11日)
- フィリピンの刑務所、定員を580%上回る過密状態に(朝日新聞、2017年7月3日)
- 【踊る刑務所】話題のフィリピン・セブ刑務所の囚人ダンスを見に行ってみた! タダで見られて記念撮影もし放題で笑った(ロケットニュース24、2013年6月10日)
- フィリピンの踊る受刑者たち、今度は「THIS IS IT」の集団ダンスを披露(AFP BB NEWS、2010年1月27日)
- [書籍]ボビー・プリント編『性加害行動のある少年少女のためのグッドライフ・モデル』監訳:藤岡淳子・野坂祐子、誠信書房
- [PDF]大江由香「犯罪者処遇におけるポジティブ心理学的アプローチの可能性」『犯罪心理学研究第52巻第2号』